ある朝、京橋のお店のLINEに、長いメッセージが届きました。

「ブレスレットが届いてから、すごく背中を押された気持ちになり、ご報告したくてご連絡しました」

二度のご来店のあと遠方へお引越しされ、いまは郵送でリメイクのやりとりをしているお客様。その一通には、ひとりの人が一歩を踏み出す瞬間が、そのまま綴られていました。

ずっと胸にあった「わたしはわたしで勝負したい」

メッセージには、こんな思いが書かれていました。

いまの職場での自分の役回りは、きっとどこへ行っても変わらない。だから、その役割は全うしようと思っている。

でも同時に、「わたしはわたしで勝負をしたい」という気持ちが、ずっと消えずにあった——。

いまの仕事は続けたい。けれど、それとは別に、自分の強みと呼べるものがほしい。誰かをほっとさせられる、そんな存在でありたい。

そして、前から学んでみたかった分野の試験を受けると決めた、と。メッセージは「一歩進んだ気がします」という言葉で結ばれていました。

背中を押したのは、石ではありません

とてもうれしいご報告です。けれど、ここははっきりお伝えしたいのです。

背中を押したのは、ブレスレットではありません。

「こうありたい」という思いを何年も温めて、それを言葉にして、試験を受けると自分で決めた。動いたのは、まぎれもなくご本人です。

石にできるのは、その決心の最後のひと押しに立ち会うことくらい。手元に届いた一本が「もう始めていいんだよ」という合図に見えた、それだけのことなのだと思います。

それでも、合図を待っていた人にとって、合図はとても大きいのです。

「やりたい」は、口に出すと輪郭を持つ

このお客様がすてきだなと思うのは、ご来店のときから、ご自身の迷いをきちんと言葉にしてこられたことです。

いまの役割への責任と、自分の名前で勝負したいという願い。ふたつの気持ちを持つことは、矛盾ではありません。

胸の中にあるあいだ、「やりたい」はまだ霧のようなものです。誰かに話したり、紙に書いたりして言葉になると、はじめて輪郭を持ちます。輪郭を持った願いは、「試験を受ける」のような、次の具体的な一歩に変わっていきます。

一歩進んだ、あなたへ

遠く離れた街で、あの方の新しい挑戦が始まっています。お店から見守ることしかできませんが、ご報告はいつでも、何度でもうれしいものです。

もしあなたの中にも「わたしはわたしで勝負したい」という小さな声があるなら、まずは誰かに話してみてください。

言葉にしたその日が、一歩目の日になります。